歯科麻酔の後遺症で歯科医側が負けた!歯科医院がすべき紛争準備とは?

歯科器具 医療・介護問題

この記事の監修

東京都 / 豊島区
弁護士法人若井綜合法律事務所
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近年、歯科業界においては無痛治療が主流となっており歯科麻酔をする機会も増えています。
しかしその分、医療トラブルのリスクが伴うことにも注意しなければなりません。
歯科麻酔においては、麻酔手技にミスが生じると、最悪のケースでは患者に後遺症を生じさせ、高額な損害賠償請求を受けてしまう可能性もあります。
そのような事態を避けるために、歯科医院はどのような準備をしておくべきなのでしょうか。

今回は、まず歯科麻酔のトラブルが増えている背景を説明したうえで、歯科麻酔による医療過誤の判例から、検証していきます。

▼この記事でわかること

  • 歯科麻酔によるトラブルが増えている理由がわかります
  • 歯科麻酔の過失による損害賠償請求訴訟の判例を紹介します
  • 歯科麻酔トラブルの問題点・注意点について解説します

▼こんな方におすすめ

  • 歯科麻酔トラブルが増えている理由について知りたい方
  • 歯科麻酔トラブルへの対策をしたい歯科医師の方
  • 歯科医師が気をつけるべき手技上の過失について知りたい方

歯科麻酔によるトラブルが増えている理由

歯科治療

近年、歯科麻酔によるトラブルが増えている理由には、次の3つが考えられます。

  • 無痛治療を目的とした歯科麻酔の適用が増えた
  • 歯科麻酔を打つ際にも痛みを伴う
  • 麻酔事故が増加している

無痛治療を目的とした歯科麻酔の適用が増えた

現代の歯科治療において、患者に痛みを我慢させる治療を行っている歯科医師・歯科医院は少ないでしょう。
昔から患者が歯科医院に行きたくないと思う一番の理由は、「治療が痛い」「痛みが怖い」というものでした。
痛みを伴う治療をすることは患者の受診抑制の原因になりますし、他院に患者を奪われる理由にもなります。

そこで、多くの歯科医院は「無痛治療」を標榜するようになりました。
すなわち、現代の歯科医院は、手技によって治療ができないほどの痛みが生じるから麻酔をするのではなく、痛みを与えるようでは患者が治療に来てくれないから麻酔をする、という段階に入っています。

歯科麻酔を打つ際にも痛みを伴う

痛みを消すための麻酔手技自体からも痛みが生じます。
針を刺すのですから当然なのですが、それでも、いかに麻酔自体の痛みを小さくするか様々工夫されている先生方も多いことでしょう。
例えば、歯科医師は次のような注意を払い、麻酔手技自体の無痛を目指しています。

  • 表面麻酔を使用する
  • 針の刺入位置や刺入角度を工夫する
  • 複数回に分けて麻酔する
  • 麻酔時に圧力を一定にする
  • 麻酔液の液温を体温に近づける
  • 針を細くすること など

そのような中、麻酔時の痛みを与えにくい電動麻酔器を導入する先生方も増えてきました。
電動麻酔器は、極細の注射針を使用可能で、一定のスピードで麻酔液を押し出すことで、主に麻酔の手技によって生じる痛みを軽減させることを目的とする麻酔器です。

麻酔事故が増加している

歯科において麻酔が当たり前になり、頻度が増えるほど、麻酔手技による事故の可能性が大きくなることに注意しなければなりません。
もっとも、歯科医師は皆、麻酔時の手技による様々な医療事故がおきる可能性に注意を払っています。

しかし、一方で無痛治療など、患者にとって重要な別の価値を考慮する場合、意識的または無意識的に、従来の麻酔の手技を変更する必要性が生じるかもしれません。
そのような、想定外の行為を行うときに医療事故はおきやすくなります。
最悪のケースでは、患者に後遺症を生じさせ、高額な損害賠償請求を受ける可能性もあるのです。

「歯科医師でもある弁護士」に聞く、歯科麻酔トラブルの問題点と注意点

歯科診察台

歯科医院では実際に、どのような歯科麻酔トラブルが起こり得るのでしょうか。
ここからは、判例(札幌地方裁判所平成17年11月2日 判例時報1923号77頁)をもとに、

  • 麻酔手技を誤った場合の法律上の問題点
  • 歯科医師として何を注意すべきだったか

について、若井総合法律事務所の弁護士であり、現役歯科医師である近藤健介弁護士に、気をつけるべきポイントを解説してもらいました。

【判例】歯科麻酔トラブルの概要

患者Xは、右顎の痛みを訴え、Y歯科医師が開設しているY歯科医院を受診し、診療契約を締結しました。
Y歯科医師は、診察の結果、親知らず(智歯)の抜歯を行うこととしました。

Y歯科医師は親知らずを抜歯するため、麻酔注射で1.8mlの麻酔液を3回に分けて注入することを決めました。
注射器を親知らずの根尖相当部と口蓋側の2箇所に刺入したところ、刺入部の組織が硬かったため、針尖が丸くなり刺入しづらくなりました。
そこでY歯科医師は組織の損傷防止と刺入のしやすさを考慮し、細い注射針に替えたうえ、同注射針を電動麻酔機を用いて強圧をかけずに刺入し、麻酔液を注入しました。

注入後、Y歯科医師が注射針を抜こうとしたところ、その注射針は電動麻酔機本体の根本から折れ、患者Xの右上顎部組織内に破折した注射針が迷入しました。
親知らずを抜歯した後、Y歯科医師の紹介で患者XはS医科大学医学部付属病院口腔外科を受診し、CT撮影を行いました。
その結果、上顎結節から翼状突起にかけて破折片(残存針)が認められました。

そこで同口腔外科で右上顎異物除去術を行いましたが、残存針のある部位は、細かな血管や神経が多数あり、残存針の摘出はできませんでした。
その後、患者Xは原告として、Y歯科医師を被告として、不法行為又は診療契約の債務不履行を理由として、損害賠償請求訴訟を提起しました。

裁判所は過失を認める判断

判決では、被告である歯科医師Yの過失について次のように認定され、この点について争いはありませんでした。

判決の骨子(抜粋)

被告には、原告に対する治療行為として麻酔注射を行うに際し、患者の体内に注射針を迷入させることのないよう、適切な太さの注射針を選択した上で注射を行うべき注意義務がある。
しかしこれを怠り、注射針の刺入部位の組織が硬かったために注射針を刺入しづらい状況があったにも拘わらず、径の細い本件注射針を選択して麻酔液を注入した。
そのため、これを抜くに際して同注射針を折って本件残存針を原告の右上顎部組織内に迷入させた過失があるというべきである。
その理由から、被告は、原告に対し、上記不法行為に基づいて、原告が被った損害を賠償すべき責任がある。

また裁判所は、患者に生じた後遺症(損害)の程度と因果関係について、患者Xの後遺障害の原因は本件残存針の存在ないしその摘出術の合併症によるものということができると認定しました。

後遺障害の等級は、12級12号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」の程度に達していると判断され、1,717万8,985円の範囲で原告の請求を認容しました。
(内訳:【逸失利益】1,139万2,620円【実費】28万6,365円【慰謝料】400万円【弁護士費用】150万円)
本件は、歯科医療の医療過誤事案のなかでも、損害賠償額が高額といえる部類です。

法律上の問題点

医療訴訟において、患者は民法に定められている債務不履行または不法行為に基づいて、歯科医師の責任を追及することになります。
損害賠償責任が認められるためには、いずれの場合にも共通する法律上の要件として,次のことをみたす必要があります。

  • 歯科医師の行為に過失があること
  • 損害があること
  • 上記2つの間に因果関係があること

本件で歯科医師として注意すべきだったのは、「歯科医師の行為の過失」ということになります。
つまり、歯科医師が結果発生を予見でき、結果回避も可能だったのに、医学的な意味で不適切と評価される診療行為を行ったことです。

「歯科医師である弁護士」の見解

本件を歯科医師の視点から解釈すると、Y歯科医師は頬側根尖相当部に1回、口蓋に1回手用注射器で麻酔した後、手用注射器の針を変えるのではなく、注射器自体を電動麻酔器に変更して注射液カートリッジを装着しなおし、細い麻酔針を装着したうえで、親知らずの後方に注射針の根元まで刺入して3回目の注射をしたということになります。

以上の手技で疑問なのは、なぜわざわざ注射器自体を電動麻酔器に変更したのか、注射針を細いものに変えたのか、です。
上顎智歯の後方(上顎結節付近)は口蓋部に比べれば粘膜が厚く刺入しやすいですし、手用だからといって針を新品に変えれば組織の損傷を招きやすいということもありません。
すなわち、わざわざ電動麻酔器に変更して細い麻酔針を使用する理由が、判決文からは説得的ではないのです。

本当の過失は電動麻酔器の使用方法

電動麻酔器はおもに無痛治療を目的として使用され、細い針を使用し一定の圧力になるようにすることで刺入時の痛みを減少させることができます。
つまり使用するなら、最初の頬側根尖相当部への麻酔から電動麻酔器を使用するのが自然です。
また、本件残存針は根元で折れて組織内に迷入したことからすれば、当初から組織内に深々と刺入されていることになり、組織が硬かったということもなさそうです。

ここで考えられるのは、電動麻酔器の「一定の圧力」という性能です。
電動麻酔器は硬い組織で麻酔にかなりの力が必要な場合でも、一定の圧力で麻酔薬を注入することが可能です。
そこで、電動麻酔器を無痛治療目的でなく、例外的に硬い組織への麻酔にも使用する場合があり、使用法として禁止もされていません。

以上から考察すると、Y歯科医師は手用麻酔器を使用して麻酔を開始したところ、刺入に力を要したことから、歯牙後方の麻酔も刺入に力がいることを考え電動麻酔器に変更し、麻酔針も電動麻酔器に対応する細いものに変更したと考えられます。
しかし実際に使用するとさほど硬くもなく、麻酔針は根元まで入り、引き抜く際に破折に至ったと想定できます。

つまりY歯科医師の過失の内容は、厳密にいうと適切な太さの注射針を選択する注意義務を怠ったことではなく、使用する必要がない電動麻酔器を使い、細い注射針を太い注射針と同様の扱いをするなど、その使用方法を誤ったこと、というべきでしょう。
裁判上では浸麻針を破折させた手技上の過失があることは明らかですので、電動麻酔器を使用するに至った経緯等はさほど問題にはならなかったと思われます。
しかし、歯科医師としてはこの経緯こそ重視しなければなりません。

歯科医師が気を付けるべきこととは?

無痛治療が当然となるなか、電動麻酔器を使用する歯科医院も増えてきました。
痛みが小さく小児の麻酔などには特に重宝しますし、歯根膜麻酔などへの麻酔液の注入は手用では握力を失うほどであるところ、電動麻酔器ならばスムーズな注入が可能です。
しかし、本件のように、硬いであろうと推測し、手用麻酔器と同様の扱いをすれば、「折れるとは思わなかった」では済まされません。

硬い部位に一定の圧力で麻酔するために使用することは、禁忌とされていない使用方法だからこそ油断しがちです。
本件では、抜歯時の麻酔に電動麻酔器を使用することは問題ありませんでした。

しかし、電動麻酔器に使用される注射針は細いことから、抜歯の際に手用麻酔器と太い注射針を使用する場合と同じ手技を行った場合には、破折の危険が高まることをY歯科医師は念頭に置くべきでした。
そして、それこそが本件における歯科医師のすべきであった、最も大切な紛争準備だったといえるのです。

歯科業界に精通した弁護士へご相談ください

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近年、使用頻度も手法も増えている歯科麻酔。
顧客である患者を集客するためには必須と言える治療法である一方、歯科医側が負うリスクも増しています。

実際の判例を見ても分かるように、歯科麻酔によるトラブルの検証は複雑で、歯科技術と法律、双方にまたがる専門性を備えていなければ太刀打ちできないのが事実です。
逆に言えば、こうした予期せぬトラブルに対応するためには、予め歯科治療に熟知した弁護士と日頃から懇意にしておくことが良いと言えるでしょう。

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