歯内療法とは、神経が失われた歯牙をその後も使用し続けるために行われる保存治療です。
建築に例えれば基礎部分にあたる、歯牙保存に不可欠な処置です。
いかに素晴らしい補綴治療をしても、歯内療法に不備があれば、すぐに再治療になりかねません。
歯内療法分野で最も発生しやすい事故は、根管内でのリーマー・ファイル(以下「リーマー類」といいます)の破折です。
では、リーマー類を根管内で破折してしまった場合、歯科医師はどのように行動すべきなのでしょうか。
若井綜合法律事務所の弁護士であり、現役歯科医師である近藤 健介弁護士に解説していただきました。
▼この記事でわかること
- 歯内療法の歯科トラブルリスクについて説明します
- 根管内でのリーマー類の破折についての法律上での扱いについて解説します
- 判例をもとにリーマー類の破折が歯科医師の過失にあたるのか解説します
▼こんな方におすすめ
- リーマー類の破折に関するトラブルを防ぎたい歯科医師の方
- 補綴治療リーマー類の破折に関するトラブルの判例について知りたい方
- 様々な歯科トラブルへの対策をしたい歯科医院の経営者の方
歯内療法は医師によって治療の差が出やすい
歯内療法は、歯科医師が歯科臨床を行う上で、避けて通れない治療であると同時に、歯科医師により最も治療成績の差が出やすい分野のひとつだと思います。
その原因は、技術、かけるコスト、情熱など様々ですが、基本的に不可視下での手探りの治療という性質にあるでしょう。
もっとも最近では、マイクロスコープを導入することで、可視下で行える範囲が広がり、画像診断と組み合わせることで、従来より安定した治療成績が得られるようになっています。
しかし、マイクロスコープの使用は健康保険では一部の歯牙に限定されており、一般臨床を行う小規模の歯科医院が導入することは事実上困難です。
根管内でのリーマー類の破折は発生しやすいトラブル
根管内でのリーマー類の破折の確率は数%といわれており、一般診療を行う歯科医師のほとんどが経験するトラブルだといえます。
私も根管内でリーマー類を破折した経験がありますが、その瞬間の気持ちは何とも言えない嫌なものです。
すぐに除去できればいいのですが、根管内で破折したリーマー類の除去は、マイクロスコープが無ければ専門医であっても困難です。
リーマー類を根管内で破折してしまったときにとるべき行動は、リーマー類の破折が法律上どのように扱われるかで変わってくるでしょう。
具体的にいえば、次の2点について認識しておく必要があります。
- 根管内でリーマー類を破折したら即過失が認められ、医療過誤として損害賠償請求されるのか
- 根管内でリーマー類を破折した場合、歯科医師が負うべき法律上の義務があるのか
過失とはすなわち、歯科医師が結果発生を予見でき、結果回避も可能だったのに、医学的な意味で不適切と評価される診療行為を行ったことです。
【判例】根管内でのリーマー類の破折は歯科医師の過失になる?
では上記で解説したリーマー類の破折についての法律上の扱いのうち、「根管内でリーマー類を破折したら即過失が認められ、医療過誤として損害賠償請求されるのか」について、判例(東京地方裁判所平成21年(ワ)第41054号 損害賠償請求事件 平成24年9月13日)をもとに、検討していきたいと思います。
もう1点の「歯科医師が負うべき法律上の義務」については、【後編】の記事で検討いたします。
リーマー類の破折トラブルの概要
判旨は、まず、Y1(歯科医師)がX1(患者)の左上4番の根管内に、リーマーの破折片を残置したことを事実として認定したうえで、以下のように判示しました。
次に、Y1のかかる行為が過失と認められるか否かを検討すると、被告らは、歯根の形状や根管の状況によっては、いかに注意して操作しても根管治療中にリーマーが破折することはあるのであって、かえって、緊密に収まっているリーマーを無理やり除去しようとすれば、穿孔を生じさせる危険等があるのであるから、リーマーを残置させたことに過失はないと主張し、A歯科医師も、X1の左上4番の歯根部が曲がった形をしていることから、リーマーの破折片を除去することは困難であり、そのまま経過観察することも十分あり得る処置である旨の意見を述べている(証人A)。 しかし、リーマーが破折した場合、根管の緊密な充填をすることが困難となって、根尖病巣を生じさせる危険性があることから、根管治療に当たってリーマーが破折しないようにすることは、歯科医師が負うべき注意義務であるということができるところ、Y1らが指摘するように、X1の左上4番の歯根部が曲がっていることが認められるとしても、Y1が、かかる歯根部の形状に特段の注意を払ってリーマーによる操作を進めたなどという事実は見いだせないのであるから、Y1には、リーマーを破折した過失があるというべきである。 |
判旨は、歯科医師にリーマー類を破折しないようにする注意義務があり、歯根部の形状に特段の注意を払ってリーマーによる操作を進めたなどという事実がない限り、過失にあたる、としました。
これはすなわち、原則としてリーマー類の破折は過失が認められ、例外を認めてほしければ、歯科医師側で特段の事情を主張立証せよ、というものです。
保険診療における歯内療法の問題点
この判例の判断の妥当性を検討するため、まず、保険診療での歯内療法の問題点について考えます。
問題点として挙げられるのは、大きく次の3点です。
- 保険点数が低く、コストがかけられない
- リーマー類を複数回使いまわすことによる金属疲労
- リーマー類の破折は偶発性が高い
それぞれについて、詳しく解説いたします。
(1)保険点数が低く、コストがかけられない
歯科点数表では、一点10円の保険診療において、主な歯内療法の点数は、次の通りとなっています。
麻酔抜髄 | 230点~596点 |
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感染根管処置 | 156点~446点 |
根管調薬 |
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※令和3年4月時点
点数表に根管清掃・拡大という独立の項目はなく、歯科医師は処置項目では根管貼薬として保険算定しながら、実際にはその機会にリーマー類で根管内の清掃・拡大を行います。
(2)リーマー類を複数回使いまわすことによる金属疲労
リーマー類が破折する主な理由は、回転して使用することによる金属疲労ですが、金属疲労は外見から判別できません。
破折を防ぐ方法は、無理な治療操作を行わないことは当然として、その都度新品を使ったり、少ない使用回数を定めて交換するという形になります。
しかし点数が低く抑えられていることから急いで進めなければならず、患者ごとに新品のリーマー類を使用することもできません。
たとえ患者ごとに新品を使用したとしても、歯内療法に混合診療が認められないことから、リーマー類の費用を別途患者に個別に請求することはできません。
したがって一般診療を行う歯科医師は、見た目に使い古した状態と分かるもの以外は、リーマー類を複数人の患者に複数回使いまわさざるをえないのです。
(3)リーマー類の破折は偶発性が高い
自由診療で歯内療法処置を行い、患者ごとに新たなリーマー類を使用可能な歯内療法の専門医であっても、根管治療をしていればどれだけ注意深く使用していても折れることは防げない、リーマー類の破折は偶発症である、という意見も多くを占めています。
患者ごとに新品を使用して注意深く使用したとしても、リーマー類が絶対に折れない保証はないのです。
もし歯科医師が絶対にファイル類を破折しないようにするならば、たとえ根管内に感染物や組織の残渣があっても、最小限の清掃・拡大しかせず、根尖付近まで到達する細いガッタパーチャポイントを充填して治療を終了する、といったような消極的治療を行わざるをえないでしょう。
つまり、破折の責任を常に歯科医師に負わせれば、歯科医師の治療行為は委縮せざるをえず、治療成績も悪化することは明らかです。
判例の妥当性は?
以上からして判旨は、原則と例外を逆にするもので、不当と言うべきでしょう。
すなわち、保険診療における歯内療法において、むしろ良好な予後を見据えたしっかりとした治療をしようとすれば、リーマー類を破折する可能性は一定程度あって排除できないのであり、それ自体を過失とすべきではありません。
リーマー類が破折した場合は、患者側が歯科医師のリーマー類の取り扱いが悪かった等の特段の事情を主張立証した場合に、過失が認められる可能性があるとすべきです。
また判旨は、リーマー類の破折に過失を認める理由として、「リーマーが破折した場合、根管の緊密な充填をすることが困難となって、根尖病巣を生じさせる危険性があること」を挙げていますが、これは、本来別個に考えるべきである「リーマー類を破折した歯牙に根管充填した場合に過失が認められるか」という論点を先取りして混同するもので、この点からも失当というべきです。
臨床では、根管内で破折したリーマー類を無理に除去せずに保存療法を選択する場合は相当程度あり、根尖病巣を生じることなく安定した予後が得られている場合も多く認められます。
判旨の理屈では、そのような予後が安定している場合でも、リーマー類の破折自体から過失を認めることになりかねず、やはり不当と言わざるをえません。
上記から、原則と例外を裏腹に判断した判旨の結論は不当と考えます。
まとめ
この記事で述べたように、私見では根管内でリーマー類を破折した場合、原則として歯科医師の過失は認められないようにすべきと考えます。
具体的な対応について、詳しくは後編で検討したいと思います。
もっとも、本判旨のように、今後もリーマー類の破折については歯科医師に注意義務があり、特段の注意を払って操作を進めたなどという事実がない限り、過失にあたると判断されてしまうケースもありえます。
引き続き後編では二つ目の論点である、「根管内でリーマー類を破折した場合、歯科医師が負うべき法律上の義務があるのか」を検討したいと思います。