患者が歯科治療の予約をキャンセル!損害賠償請求はできる?

歯医者 医療・介護問題

この記事の監修

東京都 / 豊島区
弁護士法人若井綜合法律事務所
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現在、ほとんどの歯科医院において、診療は予約制です。
歯科治療は問診、診断、投薬だけではなく処置が不可欠であるため、診療前に準備をしておく必要性が高く、予約制になじむといえます。
では、予約をしていた患者が無断キャンセルしたり、治療途中で来院しなくなったことで医院に損害が生じた場合、医師はどのように患者に請求すればいいでしょうか。
若井綜合法律事務所の弁護士であり、現役歯科医師である近藤 健介弁護士に解説していただきました。

▼この記事でわかること

  • 保険診療のキャンセルにおける損害賠償請求の扱いについて解説します
  • 判例をもとに歯科治療のキャンセルがあった際に、どのくらい損害賠償請求できるのかについて解説します
  • 歯科治療の予約をキャンセルをした患者への対応方法ついて、私見を述べます

▼こんな方におすすめ

  • 歯科治療を担当する歯科医師の方
  • 歯科治療のキャンセルに伴う損害賠償請求の判例について知りたい方
  • さまざまな歯科トラブルの予防・対策をしたい歯科医院の経営者の方

医療費の支払方法


通常、医療契約では、治療と報酬の支払は時間的に近接します。
保険診療は出来高制が基本で、歯科医院は診療後に患者の自己負担分を請求することになります。
また、自費診療では報酬の請求時期は自由ですが、治療の進行の割合に応じてされるのが通常でしょう。

保険制度では治療のキャンセルによる損害は請求できない

保険診療にあたり、事前の準備等をした後に患者がキャンセルとなった場合は、その費用を患者に請求することは原則として認められていません。
唯一、未来院による損害補填として認められているのが補綴物についての未来院請求です。
しかし、これも患者が印象採得から一定期間経過後に、補綴物の点数の範囲で請求できるに過ぎません。

限られた診療時間で十分な処置を行おうとすれば、歯科医院が治療の準備をすることは当然必要ですので、その費用も患者が負担すべきと言えます。
これは、保険治療でも自費治療でも同じです。
すなわち、例えば、無断キャンセルとなれば歯科医院は他の患者の予約を入れられず、機会損失となりますし、インプラント等の手術を行う当日にキャンセルとなった場合などは、手術室の滅菌や準備・片付けの材料費・人件費等も無視できません。
この費用を請求できないことは、飲食店や宿泊施設などのキャンセルと比較しても、大変不自然なことです。

【判例検討】患者が診療をキャンセルした場合の請求範囲とは?


では、自費診療において、患者が診療をキャンセルした場合にどこまで請求できるでしょうか。
保険診療の未来院請求制度の妥当性も含め、以下、裁判例(東京地方裁判所 令和元年(ワ)第16622号 診療報酬請求事件 令和3年1月28日)を見ながら検討します。

本件は、歯科医師である原告が、患者である被告との間で前歯の補綴に係る有償の準委任契約を締結し、その履行の提供をしたものの被告が当該施術を受けなかった旨を主張して、被告に対し、準委任契約に基づき、報酬25万9,200円(12万9,600円(税込)×2本)および遅延損害金を支払うことを求めた事案です。
準委任契約の成立を認めた上で、以下のように判示しました。

3 争点2(原告が本件準委任契約に基づく債務の履行の提供をしたか否か)について
(1)本件準委任契約は,原告及び被告の診療契約の存在を踏まえたものであったとはいえ,前記2で説示したとおり,個別の治療行為を対象とするもので,歯科医師である原告は,本件被せ物の製作等につき事前の準備と費用負担を要する一方,被告が本件施術に応じなければ,これを行うことができない。このような本件事情の下では,衡平の観点から,原告が本件準委任契約に基づく債務を履行する準備を完了し,本件施術を行えばよい状態にする一方,被告が本件施術を受けることを拒否した場合,原告が債務の履行の提供を行い,被告の報酬債務の不確定期限が到来したものとして,原告は,現に本件施術を行わなくとも,被告に対し,本件準委任契約に基づく報酬の全額を請求することができるものと解するのが相当である。
(2)本件準委任契約の成立当時,本件施術の時期は,定められていなかったが,前記1の認定事実によれば,原告及び被告は,平成28年7月12日,本件施術の時期を同月22日とすることに黙示に合意したものと認められる。
 そして,前記1の認定事実によれば,原告は,同月22日,本件診療所を営業し,製作済みであった本件被せ物を用意して,被告が本件施術に応じれば,これを行うことができる状態にしていたものと認められる。他方で,被告は,同日,本件診療所を訪れ,原告との関わりを一切絶つ旨の意思を示したものと認められる。
  そうすると,原告は,本件準委任契約に基づく債務を履行する準備を完了し,本件施術を行えばよい状態にする一方,被告は,本件施術を受けることを拒否したものといえるから,原告は,被告に対し,本件準委任契約に基づく報酬の全額を請求することができるものというべきである。
  もっとも,被告の報酬債務につき弁済期が上記のとおり平成28年7月22日であることから,被告は,同日の経過により遅滞となる。

判旨はまず、本件の診療契約が準委任契約であると認定した上で、通常の歯科医療の形態である通院治療では、歯科医師が「契約に基づく債務を履行する準備を完了し、本件施術を行えばよい状態」にすれば、患者が「施術を受けることを拒否」した時点で履行の提供がなされたとしました。
また、診療報酬債務は不確定期限債務であり、「施術を受けることを拒否」したことにより期限が到来したとしました。
そして、損害については、原告の主張する前歯2本分の治療費について、請求を認めています。

民法の原則について


今回の裁判例において、検討すべき2点の民法の原則について解説します。

準委任契約は受任者の先履行

準委任契約は、受任者である医師に治療行為の履行義務があり、委任者である患者に代金支払の履行義務がある双務契約です。
そして、準委任契約は受任者の先履行が原則です(民656条,648条2項)。
したがって、受任者は自分が履行していない以上、委任者が履行しないことを責めることができません。

もっとも、本件のような通院治療では、患者が来院しなければ治療(履行)はできないことから、判旨は、衡平の観点から債務者が単独ですることができるその給付に必要な準備をして、債権者の協力を求めることを履行の提供としたと考えられます。

不確定期限債務の履行期限の定めとは

判旨は本件の医療債務を不確定期限債務としました。
これは、前歯の治療について黙示の合意があったものの、具体的なセット時期の定めはなかったことから、不確定期限としたと考えられます。
そして不確定期限債務は「債務者が期限到来後に履行の請求を受けた時、債務者が期限の到来したことを知った時のいずれか早い時」に履行期限を迎える(民412条2項)ので、被告が本件施術を受けることを拒否したことをもって「期限の到来したことを知った」と認定したと考えられます。
そして、損害については、債務不履行責任では履行責任、すなわち、債務が履行されていた場合の損害まで認めるのが原則であることから、本件では、補綴物2本の技工料、技術料等を含めた治療費全額となります。

判例の考察


本件では、来院治療の場合、患者が来院後すぐに施術できる状態にしておけば、来院しないことが違法となり、予定していた治療の履行利益まで損害賠償を認めました。
これは、保険診療で認められている未来院請求と比べれば、はるかに大きな範囲で損害を認めたことになります。
もっとも、本件は、患者が治療を拒否することを明言したもので、予約の時間に来院しない「無断キャンセル」ではないことに注意が必要です。
平成29年の民法改正では、不確定期限の到来した後に債権者が催告したときは、債務者が期限到来の事実を知らなくとも遅滞を生ずる、という従来の通説的見解が明文化(民412条2項前段)されました。
したがって、もし、患者が無断キャンセルした場合は、歯科医院が催告して初めて履行遅滞となると解すべきでしょう。

まとめ

現在、歯科診療において患者が自己都合で治療をキャンセルしても、歯科医院は損害を請求することはほとんどありません。
これは、長年の慣習でもありますが、保険診療において制度として認められていないことが最も大きな理由でしょう。

しかし、患者のキャンセルによる歯科医院の損害は大きく、無視できません。
一般社会において、客のキャンセルによって店舗が受けた損害の請求が認められているように、医療においてもキャンセルによる損害は請求できるとすべきです。
そして、保険診療であっても、歯科医院が負う損害の性質は自費診療と異ならないのですから、損害の請求の要件や範囲も統一されるべきです。
すなわち、保険診療の未来院請求においても、数か月も待つのではなく、患者から直前に予約のキャンセルがあった場合はその時点、患者が無断で来院しなければ歯科医院から連絡した時点で、履行遅滞として請求できるとすべきでしょう。
そして、損害の範囲についても、補綴物の未装着の場合に補綴物の点数のみといった限定的な範囲ではなく、あらゆる治療について履行利益まで認めるべきです。

もちろん、保険制度が予約診療を推進しているわけではありませんし、架空請求を防止する観点から手続きの煩雑化の懸念もあり、制度化は簡単ではありません。
しかし、私は、少しずつでも、予約のキャンセルによる損害について歯科医療機関が過度に受忍している現状を是正すべく、制度化に向けて声を上げていく必要があると考えます。

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