歯科インプラント治療で失敗!?その判断基準とは

医療・介護問題

この記事の監修

東京都 / 豊島区
弁護士法人若井綜合法律事務所
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歯科インプラント治療は、損なわれた咀嚼機能や審美性、発声機能等を回復する治療であり、その回復率の高さから、歯科医療において欠かせない治療のひとつとなっています。
近年では、国民に歯科インプラント治療は広く認知されて需要も高く、また、歯周治療や補綴治療、矯正治療等と複合的に応用できることから、包括的歯科治療にも不可欠といえます。
しかし歯科インプラント治療は合併症・偶発症の発生リスクが高く、治療ミスとして紛争に発展してしまうこともあります。
では実際にどのようなケースが治療ミスだと判断されてしまうのでしょうか。
若井綜合法律事務所の弁護士であり、現役歯科医師である近藤 健介弁護士に解説していただきました。

▼この記事でわかること

  • 歯科インプラント治療における治療ミスの判断基準について解説します
  • 判例をもとに歯科インプラント治療の注意義務違反について解説します
  • 歯科インプラント治療を行う上での注意点ついて、私見を述べます

▼こんな方におすすめ

  • 歯科インプラント治療を担当する歯科医師の方
  • 歯科インプラント治療におけるトラブルの判例について知りたい方
  • さまざまな歯科トラブルの予防・対策をしたい歯科医院の経営者の方

歯科インプラント治療における治療ミスの判断


歯科インプラント治療の安全性は著しく向上したものの、外科処置という性格上、治療の合併症・偶発症として、神経損傷、上顎洞炎、上顎洞内迷入、異常出血等が発生しえます。
そして、合併症・偶発症の重大性や、自費治療で医療費が高額となる点から、治療後患者が満足するような結果が得られなかったり、想定外の結果となった場合に、歯科医師の治療ミスとして紛争に発展することも多い分野でもあります。
では、どのような場合に、医師の治療ミスと判断されるのでしょうか。

結果責任が問われるのは注意義務違反(過失)の場合

医療事故が生じた場合、医師は結果責任を問われるわけではありません。
そもそも医療において結果を保証することは困難です。
そのため、医療契約の法的性質は準委任契約とされ、医療業務を遂行することを契約内容とするにすぎません。
したがって、結果に問題が生じたことのみで、責任を問われるわけではありません。
すなわち、医師の治療行為に注意義務違反(過失)があったことが必要です。

しかし、医師の治療行為は、複雑で高度な専門的判断が要求されますから、法律の専門家である裁判所といえども、容易に過失の有無を判断できません。
そこで、裁判所は、医師の治療行為に広範な裁量を認めた上で、その範囲内であれば注意義務違反は認められないと考えています。

注意義務違反(過失)の判断基準となる医療水準とは?

注意義務違反(過失)の判断基準について、最高裁は、「注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」(昭和57年3月30日)と判示しています。
そして、医療水準とは抽象的・一般的に決められるものではなく、医療の分野における通常人、すなわち、専門的な知識・技術を有する平均的医師を基準として判断するとしました。
そこで本稿では、裁判所が具体的にどのように注意義務の基準たる「医療水準」を認定するのか、判例を見つつ検討していきます。

【判例検討】歯科インプラント治療における注意義務違反の判断について


ここからは、実際にインプラント埋入手術によって合併症・偶発症が発症したケースの判例を検討していきます。(東京地方裁判所 平成25年(ワ)第7020号 平成27年7月30日判決)

本件は、原告が本件歯科医院において、歯科医師Y2によるソケットリフトを伴うインプラント埋入手術を受けたところ、術後の上顎洞内に骨補填材が迷入したことで上顎洞炎などを発症した事例です。
被告らには、本件インプラント手術において、骨量が不十分な部位にソケットリフトを選択した適応違反等があるとして損害賠償請求をしました。

判旨

第3 当事者の主張
2 争点2(上顎洞底挙上術としてソケットリフトを選択した適応違反の有無)について
(中略)
(被告らの主張)
 (1)本件で被告らが使用したHAインプラントは,骨との結合力が強いため,既存の垂直骨量が3mm以上あればソケットリフトの適応であるところ,原告の場合には,本件インプラント手術に使用した直径5mmのインプラント体を埋入することを前提とした場合のインプラント窩円周部の垂直骨量が4.1mmから4.9mmであるから,ソケットリフトの適応である。
(中略)
第4 当裁判所の判断
2 争点2(上顎洞底挙上術としてソケットリフトを選択した適応違反の有無)について
 (1)原告は,使用したインプラント体の材質を問わず,歯槽骨垂直骨量が5mm以下の場合にソケットリフトを選択することは許されないにもかかわらず,既存の歯槽骨垂直骨量が3.8mmから4.0mmである原告に対し,ソケットリフトを選択した点で,被告らには適応違反があると主張し,文献や専門家の見解(甲B1,甲B9の1・2,甲B10の1・2,甲B11,甲B14等)を提出する。
 この点につき,ソケットリフトを考案したRobert Summersほかの「The Bone-Added Osteotome Sinus Floor Elevation Technique(骨補填オステオトーム上顎洞挙上術)(1999年)」(甲B10の1・2,乙B16)は,ソケットリフトによる手術の成功率は,治療前の骨の高さが5mm以上のときには96%であったが,治療前の骨の高さが4mm以下のときは85.7%に下降したとする。もっとも,本論文は,平成11年に発表されたものであり,また,結論において,4mmに満たない上顎洞底下の既存骨の高さと喫煙がインプラントの生存率を低下させることが示されたとした上で,ソケットリフトをより的確に評価するためには将来的に企画された研究に基づき,より長期間における評価が必要であるとするものであるところ,これが,その後に研究・実践が積み重ねられてきた約10年経過後の平成22年時点において,どのようにみるべきものかは慎重に検討する必要がある。
 また,甲B9の1(中谷歯科医院院長・大阪大学歯学部臨床教授堀内克啓の平成22年発表の論稿「安全かつ正確なインプラント埋入のために」)には,「ソケットリフトでは,約3mmの上顎洞底挙上が可能であると考えられているので,残存歯槽骨高径が7-10mmの症例に適応するのが良い」との記載があるものの,この表現自体,「適応するのが良い」というものであって,それ以外の場合が許されないとするものとは解されないし,この文献自体,「上顎洞底挙上術の術式は,残存歯槽骨高径を基準にガイドラインを設定すべきである」(同38頁)として術式の選択基準を示すとおり,ガイドラインが存在しないことを前提に,基準を提唱しようとするものである。
 さらに,原告の協力医である東京医科歯科医学部病院耳鼻咽喉科医師であるC医師(以下「C医師」という。)は,平成25年8月24日付けの「聞き取り書き」(甲B14。以下「C聞取書」という。)において,「ソケットリフトとサイナスリフトの術式の選択の基準に,当然上顎洞粘膜穿孔の危険性は考慮されるが,具体的な基準は医師によって異なる。しかし,一般的な歯科医師の多くは5mmを目安としていることは間違いなく,中には6mm~8mm以下の場合ソケットリフトを行わないという医師もいる。」(同2頁)と意見し,その証人尋問においても,歯槽骨量,垂直骨量が5mmという基準についての知見は「一般的だと思います」(証人C7頁)と証言している。しかしながら,そのC医師においても,上記のとおり「具体的な基準は医師によって異なる」(甲B14・2頁)ことを認め,「本当は5ミリより骨が少ない場合はリスクがある程度高いということがわかっていても,そういった治療をされる先生が非常に多い現状はあります」と供述している(証人C6頁)。さらにまた,C医師は,現在勤務する東京医科歯科大学歯学部附属病院インプラント外来において,垂直骨量が5mm以下の場合に歯槽頂アプローチをやらなくなったのは,不確かだが平成23年頃のことであると証言しており(同38頁),同インプラント外来においても,本件インプラント手術が行われた平成22年においては,垂直骨量5mm以下がソケットリフトの適応でないとはされてはいなかったことがうかがわれる。
 さらにまた,被告らの協力医の東京医科大学口腔外科学講座准教授であるD医師(以下「D医師」という。)は,「具体的にどの程度の既存垂直骨量があればソケットリフトの適応かということについては,論者によって見解が異なり,定説といえるほどのものはありません」(乙B14・2頁)と述べているし,ソケットリフトについて「既存骨の厚みが3~5mm程度ある場合が適応と考えられ」るとする文献(塩田真,藤森達也著「インプラントファーストステップのためのQ&A135」(平成23年9月発行))も存在する(乙B7)。
 さらに,乙B11(平成15年7月論稿受付の佐藤俊哉ほか「骨量が少ない上顎臼歯部へのインプラント植立」)には,上顎洞粘膜が下方に凸の解剖学的形態を利用し,垂直的骨量が4mm以下の症例にソケットリフトを適応した例が紹介されている。
 以上によると,少なくとも本件インプラント手術が行われた平成22年当時において,原告主張のように既存歯槽骨の垂直骨量が5mm以下の場合には一律ソケットリフトを行ってはいけないという基準が,一般的な医療水準になっていたということはできないというべきである。
 (2)以上によれば,本件において,被告Y2が,原告に対してソケットリフトを選択したことが適応違反であり,裁量を逸脱した違法な行為であったということはできないというべきである。

判旨は、各種文献や複数の協力医の意見を詳細に検討し、本件インプラント手術が行われた平成22年当時において、存歯槽骨の垂直骨量が5mm以下の場合に一律ソケットリフトを行ってはいけないという基準が、一般的な医療水準だったとはいえないとしました。
そして、被告歯科医師がソケットリフトを選択したことについて、裁量を逸脱した違法な行為とはいえないとし、注意義務違反(過失)を否定しました。

上顎洞挙上術とは?

歯科インプラント治療において、歯槽骨量が十分になく上顎洞底が近接している場合、上顎洞底挙上術が選択されます。
上顎洞底挙上術には、サイナスリフトとソケットリフトの二種類の方法があります。
その選択は、歯槽頂から上顎洞底の距離、挙上量、上顎洞底の形態、初期固定の有無などによって決定されますが、最も大きな違いは、アプローチの方向が側方か垂直方向かです。
既存骨量が小さい場合には、制限のないサイナスリフトが選択されることが多いでしょう。
この点が、本件において、患者が医師の「失敗」ではないかと疑った根拠となりました。

判例についての考察


本件当時、ソケットリフトが可能とされる歯槽骨の垂直骨量について、定説はありませんでした。
もっとも、だからといって、判旨は簡単に原告の主張を退けることはしていません。
原被告双方が提出した文献と複数の協力医からの話を総合的に評価し、原告の主張する判断基準が医療水準といえるだけの根拠があるかを丁寧に検討しています。

その上で、平成22年当時、骨量が5mmに満たない場合にソケットリフトを禁止する医療水準があったとはいえないとし、被告歯科医師がソケットリフトを選択したことを、専門家である歯科医師の裁量の範囲を逸脱するものではないと判断した判旨は妥当といえます。

医療水準はあくまで「治療当時のもの」

もっとも、注意しなければならないのは、医療水準はあくまで「治療当時のもの」だということです。
実際、近年の文献(『口腔インプラント2020』)では、ソケットリフトの適応は既存骨量4~5mm以上と明記されており、垂直骨量に明確な基準が無かった検討判例当時とは医療水準は変化しているといえるでしょう。

歯科医師の判断に裁量が認められている

また判旨は、原告の設定した基準を医療水準と認めなかったのであり、被告歯科医師が主張した「垂直骨量が3mm以上あればソケットリフトの適応」であるという主張を認めたわけではありません。
つまり、歯科医師の判断に裁量が認められているからこそ注意義務違反が認めらなかったに過ぎません。

まとめ


以上のことは、たとえば歯科医師が「今まで問題とされたことがない」「かつてそのような文献を見たことがある」といった程度の認識のまま、経験のみで歯科インプラント治療を行えば、いざ医療事故が発生した場合に、過失と認定されかねないことを意味します。
この点は、専門医や経験豊富な医師だからといって変わりません。

歯科インプラント治療の合併症・偶発症の重大性に鑑み、施術を行う歯科医師は、自らの治療行為にエビデンスがあるか十分に検討し、常に研鑽を積む必要があるというべきです。

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